▲ 帝北上野駅1番線で発車を待つ5000系。帝北百貨店上野店と一体になっているためまるで地下駅の様相。

 上野駅の正面玄関口を出て、デッキへ続く階段を上がると見える石造りのビルが、帝北電鉄の帝北上野駅。JRとの乗り換えはJR線連絡改札口のほうが便利で、その影響もあってか中央改札口の混雑はそれほどでもない気がした。その地上改札口の奥に見えているのが帝北電鉄のホーム。右奥には特急列車が見えた。

 帝北上野駅は5面4線の櫛型ホームで、降車ホームと乗車ホームが分かれている。もともとのホームは6両まで対応のものだったが、改築に改築を重ね10両編成対応としており、またホームドアの設置が近年なされたため、ホームの日光方はかなり狭くなっている。

 

 

 帝北上野駅から電車に乗ると、左手にJRの線路群を望みつつ高架線を進み根岸町(鶯谷)へ。根岸町(鶯谷)は最近根岸町から改称された、1面2線の島式ホームの駅。ホームはかなり狭くなっている(あまり利用者もいないのでいいのかもしれないが)。JR鶯谷駅が至近である。

 

 

    一旦地上に降りたのち、京成線を潜って現れるのが日暮里駅。かつては京成、帝北、そしてJR各線が全て地上に並ぶ巨大駅だったが、京成・帝北・JRが一体となった改良工事により現在は京成が3階、コンコースが2階、帝北とJRが1階、という構造になっている。

 

 

 日暮里を出ると京成線の下に潜り続けつつ常磐線を跨ぎ、その後京成線が右に別れ東北本線と並走、さらに急行線と緩行線が分離しその間に湾岸線からの線路が割り込む。田端新町駅は2面4線の高架駅で長く続く複々線の起点駅だが、停車するのは各停のみ。それで急行線側の1番線、4番線は使用頻度が低い。コンクリート造りの人も少ない地味な駅だが、かつてはここに大きな貨物ヤードがあった。1973年の武蔵野線連絡線整備とともに貨物ヤードは廃止され、その後貨物輸送自体も無くなっている。

 

 

 田端新町駅を過ぎると東北本線が左に離れる。本尾久駅は都電荒川線の小台停留所と宮ノ前停留所の中間に位置する(若干小台寄り)、高架2面4線と遊園線用の地上1面2線を有する駅。改札は北側に一か所のみであり、しかも都電荒川線との乗り換えは一旦外に出なければならない。この駅の北側には遊園線への連絡線が設けられており、休日朝には上野から直通列車が運転される。

 

 

 遊園線が左に離れるのを望みつつ、隅田川を渡ると足立小台駅。外側の緩行線のみにホームを有する。ホーム北側からは容易に荒川を望むことができる。

 

▲ホームドア設置工事中の江北駅。本線側はすでに取り付け済みで、副本線側も工事が佳境に入っている。

 小台を出るとすぐに荒川を跨いで扇駅に到着する。扇駅も緩行線のみにホームがある。南口の目の前に江北橋通りがあり、バスで西新井駅や王子駅・池袋駅や大塚駅へと向かうことができるため、各停停車駅の中で乗客はトップクラスである。

 

 

 江北駅。2面4線の駅で、駅前のバスターミナルからは舎人・西新井駅・赤羽駅へのバスがひっきりなしに出る。周りには団地と緑が広がっており、この団地からの通勤客やバスで当駅まで来る通勤客に対応し、朝ラッシュ時には当駅始発の各停が運行される。

 

 

 江北を出ると左にカーブして鹿浜駅へ。緩行線のみホームを有する駅だが、開業当時から存在する歴史ある駅である。

 

 

 首都高速川口線を跨いで南平柳駅へ。こちらも緩行線のみにホームを有する。川口駅や舎人地区へ向かうバスがこの駅を通るため、利用者は多め。

 

 

 十二月田(しわすだ)駅は帝北屈指の難読駅。1970年開業の比較的新しい駅。

 

 

 十二月田駅を出ると右に曲がり南鳩ヶ谷駅に到着。この駅も1970年、十二月田駅と同時に開業した。準急停車駅である。

 

 

 新芝川を超えると鳩ヶ谷駅。鳩ヶ谷駅は2面6線で、外側に通過線を持つ。鳩ヶ谷市の中枢の役割を持つ駅で、西口駅ビルには多数のテナントが入りショッピングセンターさながらの様相であるほか、高架下には大規模なバスターミナルを持ち、蕨、川口、草加、舎人、赤羽など各方面にバスがひっきりなしに発着している。2001年には埼玉高速鉄道線が鳩ヶ谷~赤羽岩淵間に開業し、副都心方面への新たなアクセスを担っている。なおこの埼玉高速鉄道線に帝北が乗り入れる計画もあるが、今のところ具現化していない。