▲ ダイヤ乱れにより8両で区間急行の運用に就く5000系11次車・5168F。10次車以降は冷房が集中式となった。 新和にて
帝北が戦後初製造した5500系や、旧型車の車体更新で製造された1080系を含む旧型車置き換え、さらに輸送力増強を目的に、5000系は1972年に登場した。以後19年の長きにわたり製造され、総製造数は594両と帝北最大の数字である。大きく分けて前期型、中期型、後期型が存在し、とくに前期型と中期型・後期型との外見上の差異は大きい。
1972年から10年間にわたり製造され続けた前期型は、普通鋼製、2両・4両・6両(4両は追加製造により6両編成に)が製造された。朝ラッシュ時には車両を組み合わせ、帝北初の10両運転を実現させた車両である。1~7次車が該当する。前期型の中でも製造時期によって仕様の違いが多々見られ、その最たるものとして制御装置の違いがある。1・2次車は抵抗制御で製造されたが、3次車からは一部の後期型車両を除き界磁チョッパ制御に変更されている。
1983年からの製造分ではマイナーチェンジが行われステンレス製の車体となったほか、戸袋窓の廃止、冷房の集中化(一部中期車は分散式)、一部機器の変更など分かりやすい変更から、車番のつけ方の変化など様々な変化が起こっている。前期車との連結は可能であり、一時期は編成組み換えにより後期型の編成の中間に前期型のユニットが混ざる、といった光景も見られた。中期型はさらなる輸送力増強を目的とした増備であり、8~12次車として製造された。
▲ 朝ラッシュの終わりごろ、多くが入庫していく笹久保車庫から出庫する5扉車・5185F。 笹久保にて
1988年からの最終増備の段階では側面のコルゲートが排され、ビードプレス車体となっている。13~15次車がこれに当たるが、次世代車両の9000系や8000系の登場時期と前後しているため、前期型や中期型とはかなり異なる特徴をもつ。まず特筆すべき点として13・14次車については全編成が10両固定編成で製造されていることが挙げられる。このころには全優等停車駅が10両編成に対応し、全時間帯における10両編成の運転も計画されていたため、このような形態となった。また14次車に関しては制御装置に帝北初採用のGTO素子VVVFインバータ制御を採用した。14次車は10両編成2本のみの製造だったが、次世代車両の9000系にVVVFインバータ制御を本格採用すべく、試験のため製造されてから2年ほど営業運転に就かずに試運転を連日行っていた。一番特徴的なのは約2年半のブランクを経て製造された最終増備車の15次車で、帝北史上初の5扉車である。ラッシュにおける日暮里駅・帝北上野駅での降車時間短縮のため、6両+4両での10両編成の時に上野方に来る4両編成として4本製造された。現在はホームドア対応などの関係で6両編成2本と4両編成1本に組みなおされ、6両編成は都心部に入らない限定運用に就くようになっているほか、4両編成の1本はラッピングされ遊園線専用の運用に就いている。
▲ 武蔵大口駅停車中の5000系。2008年修繕分からはスカートの交換が行われている。 武蔵大口~帝北豊春間にて
1993年ごろからは初期車の更新工事が行われはじめ、座席モケットや化粧板の交換、戸袋窓の廃止、スカートの設置などがなされた。1997年からは行先表示器のLED化と車内表示機の新設が行われた。2003年からは更新工事が中期車に対しても行われはじめ、その後工事内容には2008年分から行先表示器にフルカラーLED表示機の採用、座席端仕切りの大型化、2010年分からは車内へのLCDの搭載、UVカットガラスの採用がメニューに加わり、内装は新型車とそん色ないレベルになっていった。2013年からは後期型の更新工事も始まり、更新内容に新たにVVVFインバータ制御化とパンタグラフのシングルアーム化が加わっている。
▲ 宇都宮地区に転属して活躍する5637Fの先頭車5687。 徳次郎にて
前述の更新工事と前後して1995年ごろから新型車両の導入に伴って5000系も編成組み換えや改造を伴った転属が行われはじめ、一部の初期車はワンマン対応工事が行われ下総境町以北のワンマン運転線区で運用されるようになっていった。また宇都宮地区向けの編成にはドアボタンの増設などの工事が行われた。2011年からは中期型の転配も行われ、各地で5000系が5000系を置き換える光景が見られた。
2005年ごろからは1000系(2代目)の導入に伴う転配で本格的に編成単位で廃車が見られはじめ、2013年には初期型が全廃している。2017年からは新型車両・2000系の導入で中期型にも本格的な廃車が発生している。廃車となった車両は基本的に解体されているが、一部は保存されたり、富山地方鉄道など地方私鉄への譲渡も行われている。