ご存知の通り、1945年8月15日、前日の日本のポツダム宣言受諾を以って、戦争は終わりを告げた。敗戦した日本はGHQの占領下に入った。また財閥解体の流れを受け、1947年に旧日東電鉄と旧武州鉄道は独立、新たに「帝北電鉄」としてスタートする運びとなった。

 

 

 戦争でボロボロとなった車両、設備、不足する物資と、列車を運行する環境は非常に困難を極めた。電気機関車と無蓋貨車による貨客混載輸送なども行われ、圧倒的に不足する輸送力をどうにかして補った。運輸省からのモハ63形の支給もあり、徐々に輸送力は回復していった。1950年代には朝鮮戦争による特需により日本の経済活動も活発化し始め、各鉄道会社では新型車両が次々と登場した。帝北電鉄でも1955年に5500系を開発、また新性能車両・1000系を開発するなど、鉄道輸送の高度化を行っていった。

 

 

 観光需要が復活してきていたことで、日光への輸送の競争も激化した。1956年には上野~日光間で準急列車「日光」を運行開始、さらに1958年には東武鉄道が観光用に「準快速」電車を運行開始した。これに対抗すべく、1958年に帝北では「日光急行」の運行を開始、さらに、1959年の国鉄の157系電車の導入、1960年の東武鉄道の1720系デラックスロマンスカー電車の導入を受け、同じく帝北でも1960年に1500系新型特急電車の運行を開始した。1982年の急行「日光」廃止によって国鉄はこの争いから離脱するが、東武とは現在に至るまで熾烈な競争が行われることとなった。